絵画墨跡その他

吉山 明兆 神前 松徳 狩野 山雪 狩野 探幽 雲谷 等的 等識
宗精 木庵 性瑫 狩野 安信 柏巌 性節 白隠 慧鶴 伊藤 若冲
狩野 探信 文保愚海 熊谷 守一 上甲 平谷 落合 朗風 松村 外次郎
広瀬 楚庵 堀 義雄 下村 良之介 酒井 良 作者不詳

熊谷 守一(くまがい もりかず)[1880 - 1977]
岐阜県生まれ。1904年東京美術学校西洋画選科を卒業。
第2回文展に「肖像」を出品、第3回文展に「蠟燭をもつ自画像」出品。15年から二科会に出品、16年二科会会員となる。47年第二紀会の創立に参加したが、51年に退会、以来無所属で自由な制作活動にうつり、油絵の他に水墨画や書にも優れた作品を残し97歳で没した。

作品一覧

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熊谷守一筆:筆(鶏毫)と書状 熊谷守一筆:筆(鶏毫)と書状
紙本墨書/36×21.5cm/1967

筆は中国産、揚子江の水鳥の羽根で製作した大もの。 熊谷先生の言われるには、大事な羽毛の鋒突が磨滅しているが、希有の名品の由。
大正6年(1917)当時練習艦隊乗組の士官候補生であった外賀良三郎氏(横鎮副官、金剛艦長を歴任、元海軍少将、1962年88歳で歿)が、上海寄港の際、香港三洋で入手、土産として参禅の師南禅寺派管長河野霧海老師に献じられ、昭和10年遷化まで愛用されたと聞く。遺品として再び外賀氏の手に還り数年を経て、絵そらごとのなりわいが幸いしてか、辱知の因縁相即して同氏より贈られ、久しく南紀錦江山裡の筐底にあった。

熊谷守一筆:喜雨 熊谷守一筆:喜雨
紙本墨画/94.5×59.1cm/1969

二紀会の松村外次郎居士が飄然と無量寺に来遊され逗留1週間に及んだ。たまたま筐の隅にあった「筆」に目をとめ「熊谷さんが筆を求めて久しい、この筆かりる」……。
「筆」は東上して熊谷先生の手許に収まり伯楽を得た名馬になった。近業の「守一書展」の墨跡はこの名馬に依ると仄聞している。
昨秋上京の折り居士にともなわれ千早のお宅に伺った。「この筆いつまでかしてくれる」澄んだ眼とながく垂れさがった白いあごひげをみて、「先生の御用のすむまで」「そうか、それでは死ぬまで」。
先生の喜ばれたことは云うまでもない。即座にその筆で玉版全紙に蛙2匹、そして喜雨と大書してくださった。雨を得て喜ぶのは蛙だけではない、喜んだのは和尚である。

熊谷守一筆:十二支(賀状) 熊谷守一筆:十二支(賀状)
紙本着色/各14.8×10cm/1966-74

筆(鶏毫)の所縁があって以来、毎年肉筆の賀状をいただいて7年。あと5年で一巡が成就することであったが。未完の5枚は巧藝版を以て充ててある。

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