絵画墨跡その他

吉山 明兆 神前 松徳 狩野 山雪 狩野 探幽 雲谷 等的 等識
宗精 木庵 性瑫 狩野 安信 柏巌 性節 白隠 慧鶴 伊藤 若冲
狩野 探信 文保愚海 熊谷 守一 上甲 平谷 落合 朗風 松村 外次郎
広瀬 楚庵 堀 義雄 下村 良之介 酒井 良 作者不詳

上甲 平谷(じょうこう へいこく)[1892 - 1986]
愛媛県生れ。本名は保一郎、九々庵と号す。早稲田大学文学部哲学科卒業。
少年時より俳句を志し、村上霽月につき、のち霽月のすすめにより河東碧梧桐に師事、さらに松根東洋城の門に入る。 俳誌「渋柿」「あら野」を経て、1938年「俳諧藝術」を創刊、のちに「火焔」と改め今日400号(※但し昭和61年の記録による)に至る。書は川村驥山に学ぶ。
著書に「芭蕉誹諧」「俳諧提唱」(何れも冨山房刊)「晩年の芭蕉」(湯川書房刊)句集「冬将軍」「泥多仏」がある。69年応挙芦雪館に於いて、又82年・84年に銀座長谷川画廊で墨書展を開催した。

作品一覧

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上甲平谷筆:華厳海 上甲平谷筆:華厳海
紙本横額/35.3×128cm/1960

昭和37年(1962)の作。平谷70歳。この年以後平谷の署名を廃し九々庵とした。
華厳経という経がある。宇宙全遍を説いた経で、華厳海はその宇宙を大海に見ているのである。 この三字は調和を得難く、平谷はそこに苦心したと述懐している。
(俳誌火焔同人 平島一郎)

上甲平谷筆:香積界 上甲平谷筆:香積界
紙本横額/47.5×137cm/1965

香が焚かれ、その積み重なった世界をいう。充分に供養を重ねた世界の意である。
「平谷」の署名のある書は60歳代の作であり、「九九庵」の署名のある書に較べ、やや若さがある。
(俳誌火焔同人 平島一郎)

上甲平谷筆:是什麼 上甲平谷筆:是什麼
石彫り込み/182.3×180cm/1968

昭和43年(1968)の作。紀州の山奥から搬送し無量寺門前に定置した大石に、直接書いたものを、老石工が手彫りで刻んだもの。是什麼(これなんぞ)と読む。何用があって来たのかの意。 支那宋代の俗語。転じて禅家の禅家の商量に用いられる。碧巌録第五十一則雪峰の公案に此の語がある。寺標として置かれた重量9トンの大石に、敢えて「是什麼」を著語した九九庵の機略は凄絶である。
(俳誌火焔同人 平島一郎)

上甲平谷筆:寺標 上甲平谷筆:寺標
屋久杉板/205×27.3cm/1972

昭和43年(1968)上甲平谷が無量寺に来遊の折に書いたもので、山門に架けられている。額材は屋久杉を用いてある。字は通常の楷書を避け、羊毛の筆を用い、禅刹の雰囲気を醸成する心気で書かれている。

上甲平谷筆:錦江山 上甲平谷筆:錦江山
屋久杉板額仕立/54.7×104cm/1972

現在、本堂の軒に架けられているが、本来は山門の扁額である。額板は樹齢二千年の屋久杉の古材を用いている。字画の多い「錦」と、少ない「江山」がよく均衡を保ち重厚で巍然たる趣きがあり、また当世風に左横書きとしたところに妙味がある。
昭和43年(1968)76歳の作。
(俳誌火焔同人 平島一郎)

上甲平谷筆:禅心 上甲平谷筆:禅心
木額/49.5×74.5cm/1972

昭和47年(1972)の作。無量寺に於て平谷が当初楷書で書いたが、草書の方が真意に適うとして、更めて一気に書いたもの。
額材は屋久島の樹齢二千年の杉の古木である。
心魂のバランスを美しく保っている。
(俳誌火焔同人 平島一郎)

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