絵画墨跡その他

吉山 明兆 神前 松徳 狩野 山雪 狩野 探幽 雲谷 等的 等識
宗精 木庵 性瑫 狩野 安信 柏巌 性節 白隠 慧鶴 伊藤 若冲
狩野 探信 文保愚海 熊谷 守一 上甲 平谷 落合 朗風 松村 外次郎
広瀬 楚庵 堀 義雄 下村 良之介 酒井 良 作者不詳

作者不詳

作品一覧

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作者不詳:虎関師錬像 虎関師錬像
紙本着色丈幅/102.5×38.5cm/室町末

鎌倉時代の南禅寺の僧で、日本の高僧伝である。「元亨釈書」などの著作を遺した虎関師錬の頂相である。上部に岡山県正満寺(臨済宗東福寺派)の僧武郷維文(明治3年歿、享年未詳)の別紙の賛があるが、これはもとの賛文が破傷したので補ったものであろう。頂相自身の制作年代は室町末と思われる。

作者不詳:白衣観音図(中国画) 白衣観音図(中国画)
紙本墨画丈幅/83.5×35.2cm/元末明初

中国の南宋の禅僧画家牧溪筆との所伝があるが、元末明初の作と思われる。画面は損傷がはなはだしいが、巌上に頬杖をついて滝を眺める白衣観音図で、この種の観音を元時代の職業画家がしばしば描いており、入元した日本人禅僧画家黙庵にも同種の作がある。

作者不詳:出山釈迦図 出山釈迦図
紙本墨画丈幅/95.5×37.3cm/室町末

画面右下に印文不詳の朱文方印と「雲機?」と読める白文外廓付円印とが重なっておしてある。作風的にみて室町末の逸名作家の手になるものであろう。

作者不詳:楊柳観音図 楊柳観音図
紙本着色丈幅/122×41cm/江戸時代

画面右下端に作者の二印があるが、不明瞭で解読しがたい。筆者は黄檗宗所縁の江戸時代前期の日本人画家と思われる。上部に黄檗宗の木庵の賛があるが、万福寺二世となってから晩年の書と考えられる。

作者不詳:釈迦三尊像 釈迦三尊像
紙本淡彩横幅/43.2×56.5cm/江戸時代

中央に巌上に坐す説法印の釈迦如来、向って左に騎象普賢、右に騎獅文殊を脇侍として配する釈迦三尊像である。禅寺などで鑑賞される水墨画系統の図様であるが、江戸時代の狩野派画人の作品であろう。

作者不詳:羅漢図 羅漢図
紙本墨画丈幅/87×46cm/江戸時代

禅家で尊ぶ十六羅漢の一つで、像容が簡略なので尊名を明らかにしがたいが、山羊を伴っているので、第十一羅怙羅尊者とみるべきであろう。筆者不詳であるが、狩野派の画家木村探元(1688-1767)の作風に近い。

作者不詳:涅槃図 涅槃図
紙本着色丈幅/176×159cm/江戸時代

本図の裏書に、寛政3年(1791)文保愚海和尚が無量寺の什物とした旨を記している。京都の絵仏師の作と思われ、精緻な佳作であるが、ほぼ入寺年代のころに製作されたのであろう。

作者不詳:倚乗人物像(南方系) 倚乗人物像(南方系)
木製浮掘 ラワン材/43×24.5cm/江戸時代

木質はラワン材、厚手のレリーフで素朴な原始彫刻を思わせる。壁かけの一種であるが、おそらく航行中、船が難破し海流に乗って漂着したものと推定される。昭和36年第2室戸台風の一週間後、串本海岸で発見された。

作者不詳:阿弥陀像 阿弥陀像
石造/25.4×15×14cm/江戸時代

無量寺創建のときより東雨の海門菴に伝えられ、宝永4年(1707)の大津波のあと袋より無量寺へ移された。口伝によって阿弥陀像とされているが、像容は地蔵菩薩である。
素朴な石彫であり、土地の名も無き彫工の手によるものと思われる。しかし信仰を基にした温容は微笑をたたえて心をうつ。

南インド:シヴァの舞踏像 南インド:シヴァの舞踏像
木造/70×42×13.2cm/17-19世紀

男神シヴァが20本の手に太鼓などの楽器や武器を持って、右足をほぼ垂直に挙げて踊っている。シヴァはインドの民族宗教であるヒンドゥ教の三大神のうち破壊をつかさどる神であり、舞踏の名手でもある。その舞踏は破壊のエネルギーを表現したものとも、破壊のあとに来る再生の歓喜を象徴したものともいわれる。舞踏のポーズはさまざまであるが、本像のような極端な姿は南インド独特のものである。激しい動きにもかかわらず表現は硬く、近世以後の作と思われる。
(大阪大学 肥塚 隆)

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